感覚価値の評価方法を変えても考察は変わらない

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ファイナンス思考のよさはモデルを変えて思索すること

 大学院のMBAコースでは、ケーススタディ(事例演習)を毎週のように行っていますが、やってることは、条件・仮説をいろいろと変えて結果を評価(Valuation)することです。ああでもない、こうでもないといいながら、前提条件、外的環境、リスク量を少しずつ変化させてることで、モデル上での最適っぽい解が浮かんできます。(現実は実行可能性など多くの制約がありますが)

 前の記事でとりあげたジャネー年数のような一種の定率型だけではなく、各自の思い描く時間価値を想定し、時間という一番重要なリソース配分や意義を考察することをお勧めします。

健康格差社会とは、健康も資産次第ということ

 厚労省から発表された日本人の平均余命を再掲します。ただ、現実には、「健康社会格差」は存在します。ネットをググると、いくつも教育・所得・健康状態の関係をさぐった研究がみつかります。例えば、米国の場合、上から1割の裕福層と下から1割の貧困層の寿命差が10年あるとか、イギリスの男性公務員の40~64歳の事務補助職の死亡率は、管理職の4倍にもなるなど。日本でも、仕事のストレスの小さい女性管理職に比べ、仕事のストレスの大きい女性管理職は脳卒中のリスクが約5倍も高いそうです。資産を早く構築することは、単にリタイア時期を早めるだけではなく、ストレスを減らし、余命そのものを長寿化する可能性がありそうです。

日本人の平均寿命と平均余命

60歳における別のモデル例1 ピンピンコロリモデル?

 さて、ここで極端なモデルを示します。下図は、60歳の1年も、70歳の1年も、80歳からの1年も「同じ時間感覚価値」とした図です。当然、毎年の残存価値は、直線比例して減っていき、最後に最期となりゼロとなります。人生は、いつでも、どこからでも、死の直前まで、まったく同じように時間は等価で有意義であり、最期の直前まで同じ状態で楽しめる、という仮説ですね。80歳を超えても寝たきりになることも介護支援を受けることもなく、これこそが、憧れのピンピンコロリのモデルとも思えます。多少、棒グラフが下がっていくのでしょうが、基本はこの形でしょう。 しかし、経済的な資産配分としては、60歳時でかかるコストは、80歳時でも同額かかるという設計がいります。使途が介護費用ではだめです。

60歳における別のモデル例2

 最後に、おそらくもう少し現実的な理想モデル?を掲示します。男女とも、健康寿命までは 3段階で落とす仮説としています。漸減ではなく数年間は時間感覚価値を横ばいとし、健康寿命時に60歳時の半分の価値としています。その後、80歳までをさらに2~3段階で段階的に落とし、最後の数年間は、60歳時の1/10としています。

 このグラフから見えてくることは、やっぱり、 健康寿命あたりで余命期間の7~8割の価値を費やすということです。ジャネー年数ほどは急カーブではありませんが、面積はあまり変わりません。男女とも健康寿命までの12~15年間は、「日々、変化を求め退屈してはいられない」、「気持ちを常に若若しく」過ごす必要があります。それだけ前半で奮闘すると、体が動く間の時間をしっかり使ったと思うべきですね。

時間つぶしは最悪

 通常の再雇用期間にあたる60~65歳の5年間は、時間としては2割ぐらいですが、感覚価値は3割強もあり、実時間の1.5倍以上の価値となってます。現実的には、私の周りでも再雇用を望む同僚は多いのですが、その理由は「お金も心配だが、家にいてもすることがない」という人がほとんどです。 おそらく、再々雇用の終わる65歳になっても、同じようなことを言うのかもしれませんから、再雇用の前に、仕事ではないSomethingを見つけておく必要があります。

 再雇用時は、処遇も下がりポストオフとなり指揮命令権限もなくなります。お金も減り遣り甲斐も減ってまで、貴重な時間価値を「時間つぶし」とすることなく、少しでもアクティブに過ごさねばなりません。

※上記内容は私個人の見解・思索にすぎません。  [Finchley 0007]

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